夢幻の軍艦大和
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)取材協力を前面に謳っているが、実は大和ミュージアムは公的施設として基本的に取材協力するので、特別扱いというわけでもなく、ストーリーまで踏み込んでいるわけではない。
「タイムスリップ+戦艦大和」というテーマは多い。「あの時代にこの武器(戦術)があったら‥‥‥」というのは、日本人の専売特許ではないようで、真珠湾攻撃の前日に原子力空母がタイムスリップして、歴史の改変に踏み込むか悩むなどという映画がアメリカにもある(「ファイナルカウントダウン」)。
この作品の前半が面白かったのは、「歴史を改変するほど現代日本は酷いことになっていく」ということであった。改変した歴史を戻そうとすると更に悪化する。本当はこのあたりは、タイムパラドックス以前にタイムスリップ物で行く方向としてはNGである。理由は簡単で、読み手としては主人公の行動に感情移入しにくくなる、書き手としては話の収拾が付かなくなるということになる。
かわぐちかいじ氏の「ジパング」ですら(読み手の目としては)収拾付かなくなって、最後は登場人物の大半皆殺し、と言うことになって、後味が余り良くない作品となってしまった。
「夢幻の軍艦 大和」では、もっと驚いた。当初は精神だけがタイムスリップしていた主人公が、肉体もタイムスリップするようになり、果ては、その原因が、クトゥルー神話の「ヨグ・ソトース」の仕業となってしまった。クトゥルー神話自体が、絶対的な力を持つものの前に人間は無力だというのが本来だから、そんな物が出てきた段階で「まともな読みもの」の体を期待するのが間違いと言うことになる。
それでも、最終的には落ち着くところに落ち着いた‥‥‥ということでは、努力を評価するべきなのかも知れないが、単行本14冊の終わり方としては、(クトゥルゥー神話まで出した以上)適当かは、評価困難であろう。
前述の米映画「ファイナルカウントダウン」は柔軟にタイムパラドックスを吸収している。1つの完成したオチが全ての手本になるべきとは思わないが、タイムスリップ物を書く以上は、「落としどころ」と「そこへの過程」は十分に検討して着手して欲しいものだ。